Act:032

 魔人族。人間族に近い外見だが、その能力は人間族を凌駕する。また、一族毎に固有の能力を持つ事が多く、戦うとなると厄介な相手である。
 おまけに魔人族と精霊族はつい数百年前まですこぶる仲が悪かった。
「魔人が何故こんな所に……」
 彼等は今や人間界には殆どおらず、精霊族のように自分達の土地で閉鎖的に暮らしていると聴いている。
 魔人はフィクルと対峙していたが、セイルの言葉に対して眉間に皺を寄せた。
「お前に言われたくないな。精霊こそ大人しく自界に閉じ篭ってりゃ良いんだ!  そうすれば四十年前みたいな事は起きなかったんじゃねえの?」
 見た目からは程遠い口調と声量。仮にも賊の頭という事か。
(四十年前……)
 この男は知らない。
「お前みたいな若いのでも、名前くらいは聞いた事あるだろ? “水の都の崩壊<セイランカ・クロッラーレ>”」
 “水の都の崩壊”。精霊族ならば知らない者はいない大事件。そして、この事件と対で覚えられている事がある。
「精霊の、しかもお偉いさんの娘でなんつったかな……ラッドだかなんだか。そいつが大賢者を――」
 しかし、この男はそれを知らない。
「黙れ!!」
 この事件をラーニッドの名の前で決して口にしてはならないという事を。

「用さえ済めばすぐにでも帰るさ! だが、まず手慣らしに貴様を狩っていく!!」
 セイルの気迫に押し潰されるように、男の余裕ぶった態度は成りを潜めた。
「あれは完全にキレたな」
 もう少し暴れたかったとぼやきながら、フィクルが鎌を止め具に嵌める。そして、後ろに下がると剣を抜き放とうとしていたラグナの手を押さえた。
「どうして止めるんですか!」
「俺達の出番はねえよ」
 フィクルは溜め息混じりに言うと頭を掻いた。
「あいつは暴走すると俺より質悪いからなあ……」
 まるで酒癖の話しでもするように、フィクルは苦笑した。

 セイルが突き出した短剣を魔人は身を捻って避け、避けるついでにセイルの腕を握る。
 その膂力に思わず離してしまいそうになった短剣を、セイルはしっかりと握り直す。
「馬鹿力が……!」
 セイルは魔人の懐に踏み込むと、掌底を顎に向かって繰り出した。魔人はそれを逃れる為にやむなく手を離す。
 魔人が離れた瞬間、セイルは手中の短剣を魔人の喉元目掛けて放った。だが、それはあっさりと弾かれる。
「唯一の武器を捨てるとはな」
 セイルが武器を失った事で、魔人に再び余裕が戻った。セイルの愚かさを嘲るように笑みを零す。
「一つ、教えてやる」
 セイルの言葉と同時に魔人の顔が引き攣る。その目が捉えたのは腹に深々と刺さった槍。
「どこに……そんな物……!」
 魔人の問いなどお構いなしにセイルは言葉を続ける。
「私は何も知らぬ奴にその事件を語られる事が何よりも嫌いだ。殺してやりたいくらいにな」
 言い終わるや否や、魔人は声もなく頽れた。

 魔人から抜かれた槍は水となって消え、セイルの手には首に下げていた青い宝玉が残った。
「お前、山賊退治の理由覚えてるか? 短剣の慣らしとか聞こえたのは空耳か?  つーか、それ反則じゃね?」
 フィクルがまくし立てながらわざとらしく顔をしかめられると、先程までの怒りはどこへやら、セイルはフィクルから目を逸らした。
「だが、お前こそ山賊退治の理由を忘れていたんじゃないか? 殆ど一人で倒したではないか」
「あ……わりい」
 今度はフィクルが目を逸らした。
「……とりあえず、こいつを何とかしないとな」
 フィクルはこほんと咳ばらいをし、足元の魔人をちらと見る。
「急所は外した。手当してさっさと連れて行けば値は下がるまい」
 とは言っても、半ば怒りに任せて深手を負わせてしまったのは失態だった。
 “水の都の崩壊”――もう四十年も経った過去の事件。
『もう過ぎた事だ、忘れろ』
『お前のせいではない』
『いい加減ふっ切れ』
 父に、師に、友に、そう言われた。
『今の私には無理だ……』
 その度にセイルはそう答えた。四十年経っても未だ答えは同じ。
(無理だ……ふっ切れる訳がない)
 だからセイルはここにいる。
 セイルはフィクルが応急処置を済ませたら直ぐに移動出来るよう、近くにある戦利品を袋に詰め始める。黙々と作業をしていれば揺れた心が鎮まる事を知っていたから。