Act:030

 人が住めるだけあって中は意外に心地良かった。湿りすぎてもいないし、一定の間隔で蝋燭も灯してある。今は奥から怒声やら悲鳴が引っ切りなしに聞こえてくるが、静かならば中々の環境だ。
「おい、フィクル。少しは手加減――」
 セイルが言い終える前に、フィクルは枝別れした洞窟を何の迷いもなく真っ直ぐに突き進んで行く。
「あの馬鹿が」
 あのぶんだと、追い掛けてもセイルの相手は残っていないだろう。ならせめて運良く死神の目を逃れた残党の相手でもしようと脇道を覗き込む。
 そこはまるで別の洞窟だった。僅かばかりの明かりさえ存在せず、かろうじて枝分かれした道が続いているのが見える。
(はずれか……)
 おそらく構造の複雑さゆえにアジトからは切り離された区画だろう。広い洞窟を住家にする場合、たまにこういった場所が生じる事がある。
 セイルは本道に戻ろうと、身を翻し――目を細める。
「誰だ」
 人はいないと思っていた。しかし、そうではないらしい。暗闇に動いた影をセイルは確かに目の端に捉えた。
「出て来ないならばこちらから行くぞ」
 短剣をちらつかせながら、一歩踏み込む。影がぴくりと動いた。それでもまだ気配は感じられない。
 さらに一歩詰めると、影もこちらに向かって来る。セイルが短剣を構えると、影は両手を挙げて抵抗の意がない事を示した。
 影が諦めたせいなのか、次第に影の気配が濃くなっていく。そして、その気配が現れるにつれてセイルは目を見開く。
「お前、何故こんな所に」
 その言葉に反応して、影が指で頬を掻いた。
「やっぱり、セイルさんでしたか。また、ご迷惑をおかけしてしまったみたいで……」
 ようやく明かりに照らし出されたのは、頼りなさげなお人よしの顔だった。

「よく今まで見つからずにいたな。捕まったか死んでいるかと思っていたのだが」
「実はですね――」
 酷いですよくらいの反論はあるだろうと期待していたセイルは、肩透かしを食らった気分になる。
「不思議な薬を貰いまして」
「薬?」
「何でも気配を薄めるとかで」
 胡散臭いにも程がある。そんな薬があれば盗賊業はさぞ繁盛しているだろう。
「誰に貰ったんだ」
「緑色の髪の男性です。精霊族だと思いますが、耳は尖ってなかったような……」
 緑の髪で耳は尖っていない人物――きっとその男は人を小馬鹿にしながら、怪しい光を湛えた金の瞳を輝かせていたのだろう。
 それにしても、この男は知らない奴に貰った薬を疑いもせず飲んだという事になる。もしこの男を殺すなら、毒殺が一番簡単だろうと深い意味はないが考えてしまう。
「それで、隙を見て忍び込んだまでは良かったんですが……効力が切れてきてしまったようで、動くに動けなくなってしまって」
 セイルは思わず「貴様は馬鹿か」と罵りたくなったのをなんとか堪えた。この男はこういう奴だ、いちいち反応していたら疲れてしまう。
「とにかく、連れがいるんだ。付いてこい」
 もう敵はあらかた片付いているが、置いて行く訳にもいかない。それに、この男は事件に巻き込まれる才能がある気がして尚更放っておけないのだ。
「でもそっちは――」
「良いから来い」
 それだけ言って駆け出せば、ラグナは渋々後ろをついて来る。
 来た道を戻り、分かれ道を奥へ。
 奥からはいつの間にか叫び声が消えていた。