Act:017
「西だ」
思わせぶりな事を言っておいてそれだけかと、半ば呆れ気味に顔を上げたセイルに、ロフトは真面目腐った顔で続けた。
「西の端、この森を抜けた先の村へ行け。アメス村に行けば謎が解ける」
今度はあまりに直球で示された事に驚き、目をしばたいてしまう。これだけ真剣な表情をしていなかったら信じなかったかもしれない。
「信じてくれたみてえだな」
ロフトは口許に手を添えながら、くつくつと声を漏らした。それを見て、セイルは自分が余程の間抜け面をしていたのだと気付いた。僅かに紅潮した頬を隠そうと、顔を背ける。
「お前、良い反応するよなあ」
相変わらずにやにやとした笑みを浮かべるロフトに、流石にいらついてきた頃。ふと、その笑みに悲しげな――憂いとも同情ともとれるものが混じった。
「本当ならあの馬鹿がやんなきゃいけねえのにな……」
言葉の意味はセイルには理解出来なかった。だが、例え“あの馬鹿”の正体を理解しても、その人物がセイルの成そうとする事を成そうとしていても、セイルの行動には何の変化もなかっただろう。
「それによ――」
ロフト表情から憂いは消えている。変わりに浮かべたのは、例の片方の口許を上げた、人を小馬鹿にしたような笑み。
「面白えんだよ。お前見てると」
そんなロフトに、セイルはただただ苦笑を返した。
ロフトに言われた通り森を西に進み続けて二日目の朝、静かだった森に悲鳴が響いた。セイルのもとに声の主が来るのには数十秒とかからなかった。
森の奥から走って来たのはフードを被った女だった。泣きそうになりながら、死に物狂いで走って来る。
「助けて下さい! 剣士様! 魔獣が……」
女は泣きながらセイルの腕に縋りついてきた。それをセイルは感情の篭らない瞳で眺める。
普段はあれだけ精霊族を嫌っていながら、自分の命が危うくなれば手の平を反したような態度で近付く。そもそも、魔獣のいる森に護衛も雇わず、丸腰で入って来る事が愚行なのだ。
睡眠もそこそこに夜明け前から行動していたセイルは、疲労と気怠さから多少いらついていた。本当ならこのまま無視してしまいたいところなのだが、それでは余りに寝覚めが悪い。
(何が剣士様だ)
セイルは腕から女を引きはがし、後ろに下がらせた。腰の剣を抜き構える頃には、殺気がすぐ側まで迫って来ていた。
森の奥から現れたのは犬の姿をした魔獣の群れだった。血のように赤々とした眼と口が嫌でも目に入る。
「“地獄の猟犬<ヘルハウンド>”……!」
それは滅多に他界に現れる事のない魔獣だった。好物がいる精霊界ですらここ数年見た事がないくらいだ。人間界に現れるなどまず考えられない。
「は、早くあの魔獣達を……」
背後で震える女を落ち着かせようとして、セイルは妙な鳥肌が立った。
(今こいつ……何と言った?)
“あの魔獣達を”と女は確かに言った。そういえば逃げて来た時もそう言っていた。“魔獣”と。
人間族は魔獣族を魔獣とは呼ばない。人間族は魔獣と魔人を同種と見なし、総称して“魔物”と呼んでいるはずだ。なら、この女は――
「おい。貴様本当に追われているのか」
後ろからは女の泣き声しか聞こえなかった。セイルはなおも問い詰めようとしたが、目の前の状況から判断して一先ず後回しにする。待ち兼ねた魔獣の一匹が飛び掛かろうと低い体勢を取り、それに応じるように他の魔獣も構えていたのだ。
セイルは魔獣が飛び掛かる寸前に踏み込んで剣を薙いだ。剣は魔獣の鼻先を掠めただけだったが、連携を崩すには充分だった。直後、飛び掛かって来た魔獣は半数程で、あとは尻込みしてか警戒してかその場を動かなかった。
背後を庇いながらの交戦はなかなか厳しいものだ。魔獣達の狙いが目の前のセイルではなく、背後の女である事が更に面倒だった。
魔獣達は数を活かしてセイルを撹乱しつつ、その隙に女を狙って来る。一度や二度なら防ぎ切れるが、長期戦ともなれば体力的にこちらが不利だった。何度目かの攻撃をされた時にはもう迎撃が間に合わず、咄嗟に魔獣と女の間に飛び込んでいた。