Act:006

 光はルビーのように紅く色付き、セイルを中心に波紋となって広がっていく。紅い光はまるで壁でも作り出しているかのように魔獣を押しやり、またベールのようにセイルと村人達を包んだ。
 光の広がりが収まると、そこには村人達をすっぽりと覆った半円型の紅い幕があった。発光の中心だった場所には一匹の小さな獣がちょこんと座っている。  その獣は猫に狐を足したような生き物で、耳が長く顔が細い。しなやかな体躯はは光沢のあるエメラルド色の毛で覆われ、胸と足の先と狐のように太い尾の先だけ白い。額には埋まっているルビーに似た紅石からは辺りを覆う幕と同じ色の光を放たれている。
「久しぶりさね、セイル」
 緑の獣は後ろ脚で耳元を掻きながら横目でセイルを見上げている。
「ああ、久しいな。シルエ」
 シルエと呼ばれた獣は耳を掻く足を止め、セイルを真っ直ぐ見つめた。
「あんた、何をしたかわかっているんだろうね?」
「説教は後にしてくれ」
 セイルは紅き幕に爪を立てる魔獣達を横目でちらと見、次に背後に控えた女を見る。
 女から笑みは消えかけていた。まさか結界を張られるとは予想しなかったのだろう。魔獣を総動員して幕を破ろうと試みているが、幕には傷一つつかない。女の苛立ちが空気も幕も通り越して伝わってくる。
「あの――」
 弱々しい声に振り返ると、ラグナをはじめとした村人達全員が、不安気な表情でセイルを見ていた。
「これは一体……私達助かるんですか?」
 そう問い掛けて来たのは薬師の娘だった。握り締めた手を震える口元に当てている。
「心配するな。この光の中にいれば安全だ」
 セイルは素っ気なく答えたが、それでも娘や村人はいくらか安心したようで、僅かばかりに溜め息を漏らしていた。
 数十分が過ぎた頃、シルエが諭すような声音でセイルに語りかけた。
「あんた、策はあるんだろうね? あれは待ってても退くような相手じゃないよ。いつまでも結界に篭ってないで、身体が持つうちに始末しな」
 セイルはシルエとは視線を合わさず、前を見つめたまま答えた。額には汗が滲んでいる。
「わかっている。策なら一応あるさ。だが、出来れば使いたくない」
 言い終わるや否や、セイルの膝が崩れた。剣を支えに立ち上がろうとするが足が震えて上手くいかない。
「だから言わんこっちゃない。こだわってる場合じゃないんだよ」
 シルエの口調は悪ガキを叱る母親のそれに似ている。セイルは納得がいかないと顔で訴えてみたがシルエに譲る気はないらしく、結局セイルが「わかったよ」と渋々頷くこととなった。
 セイルは傍らに呼び寄せたラグナの肩を借りて立ち上がりながら、ラグナに囁く。
「村を、壊すが、構わないか?」
 呼吸が整わないせいで途切れ途切れになった言葉は、より明瞭に事を伝えた。 「壊すって……」
「こいつ等を、一掃する。が、恐らく――」
 セイルはそこまで言うと深く深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。そして、静かに告げる。
「村も壊滅する」
 ラグナも薬師の娘も他の村人も言葉を失っていた。反応を示したのはシルエだけだ。
「あんたまさか!?」
「そのまさかだ」
 シルエは今にも飛び掛からんばかりに構え、セイルに食ってかかる。
「あんた何考えてんだい! ただでさえ体力ないってのにあたしを呼んで、そのうえあいつまで呼ぶだって? 馬鹿言うんじゃないよ!」
 シルエの剣幕と怒気に村人はますます声を失う。泣き出す子供もいた。
 だが、こればかりは譲る気はない。セイルはうっすらと笑みを浮かべた。吊り上げた口元から、からかうような声を漏らす。
「こだわっている場合ではないのだろう?」
「それとこれとは別問題だよ!」
 シルエは直もまくし立てていたがセイルはそれを黙殺して、ラグナに確認の意も込めて問い掛ける。
「既に壊滅寸前だ。大して変わりあるまい?」
 ラグナは相変わらず俯いたまま返事をしない。村一つの壊滅で皆の命が助かる――安いものではないか。とセイルが言いかけた時、ラグナが辛うじて聞こえる音量で呟いた。
「それでも、ここは僕等の村なんです」
 そういえば、昔同じ問答をしたことがあった。
『街なんて捨てて逃げれば良い!!』そう叫んだ非力なガキ。
『それでもここは皆の大切な街だからね……』そう呟いた偉大な賢者。
 ガキは何もしなかった。ただただ目の前の出来事に目を背くことも出来ず、震えていた。一方、賢者は街と民を守った。大きな代償を払って。