Act:005
「ったく! まだか!」
セイルは七匹目の“地獄の猟犬”を切り捨てながら叫んだ。
セイルは背後の気配を探りながら舌打ちした。ラグナは思ったより手間取っていた。まだ暫くかかりそうだ。
「貴様等の獲物は私だろうが!」
集中を欠いた一瞬のうちに脇を通り抜けた一匹を振り向き様に薙ぎ払い、血糊を振り払う間もなく九匹目を斬る。
十三匹目を刃に掛けた時、急に“地獄の猟犬”達が大人しくなった。皆、一様に尾を丸め、頭<こうべ>を垂れて後ずさる。残っていた村人が勝利を確信に歓声を上げたその時――
「随分元気そうじゃない」
森の中から、高飛車な女の声が響いた。
僅かに見開かれたセイルの目に映っていたのは長身の女だった。黒のコートに、黒のブーツ。“地獄の猟犬”の如く赤い眼に、腰まで伸ばした紫色の髪。そして、どこか高貴さを纏った女だった。
「あれだけやれば死ぬと思ったのに。残念だわ」
女は芝居掛かった仕草で両手を挙げて肩を竦めた。セイルは昔からこういった仰々しい振る舞いが嫌いで仕方がない。
「私もだ。当分はその声を聞かずにすむと思っていたのだが」
女とは対象的にセイルは身じろぎ一つしなかったが、顔には僅かばかりの緊張が滲み、声には多量の毒が含まれていた。
「お互い、詰めが甘かったわね」
女は切れ長の目を更に細め、笑みを浮かべた。そして優雅な動作で左手を顔の横まで上げる。
「でも、今度はどうかしら」
女が指を鳴らすと同時に空間が裂けた。切れ目から這い出して来たのは“地獄の猟犬”を初めとした魔獣達だ。ざっと四十匹はいる。
(冗談じゃない……)
セイルは背中を冷たいものが駆け降りるのを感じた。セイルの計画は、女の登場と魔獣の増援で完全に狂ってしまっていた。敵が“地獄の猟犬”だけの先程までならば、ラグナ達を対岸に逃がせば安全が確保された。しかし、他の魔獣が現れてしまった今となっては、対岸に逃げたところで意味がない。かといって、この女の相手だけでも厳しいというのに、これだけの魔獣を相手に村人を守りながら戦い切れる訳がない。
勝てる方法は一つだけったが、それには時間が足りない。
(それに……私に出来るのか?)
セイルの焦りを察してか、女は一層笑みを浮かべたが、「でも――」と残念だと言わんばかりに肩を竦めた。
「実は私も本調子じゃないのよ。だからここはその子達に任せるわ」
女は数日前にセイルが開けた腹の風穴に手を当てた。出血もなく動いている所を見ると、恐らく向こうも何らかの術で傷を塞いだのだろう。しかし、傷が回復していても、セイルと同様に体力までは戻っていないらしい。
「もしその子達に勝てたら私が直接お相手するわ。ま、無理でしょうけど」
セイルは内心ほくそ笑んだ。女は気付いていない。事態は好転へと傾きつつあることを。
セイルは背後を振り返った。村人の避難は――
「セイルさん! 終わりました!」
ラグナの声を合図に、セイルは脱兎の如く身を翻して駆け出した。対岸に向かって走りながら言葉を紡ぐ。
「我、確固たる守護を望む者なり……」
迫る足音を意識から追いやり、己の言の葉のみに神経を注ぐ。
「汝、紅き光りを以って人の子に守護を与えん……」
生暖かく不快な鼻息が脚に当たる。ラグナが手招きをしながら何か叫んでいる。
「盟約に応えよ……カーバンクル!」
魔獣がセイルに飛び掛かったその時、辺りを光りが支配した。