Act:004

 気分は風に当たると随分楽になった。セイルはそのまましばらく風を浴びていたが、どうせ頂上に来たのだからと墓場に足を向けた。  墓場は頂上の一角を切り開いた広場に設けられていた。墓は十字に組み合わせた木に主の名と享年が刻まれただけの粗末な物で、古い物は風雨によって朽ちていて誰の物かわからなくなっている。
(これが墓か)
 セイルは墓を見たことがなかった。死しても肉体の残らない精霊族には墓を立てる風習がなく、死人を讃えることはあってもどこかに奉るということはしない。
 セイルは比較的新しい墓に目を止めた。墓の主は半年前に死んだ青年らしい。たった十七年の生涯。
「脆いな……」
 無感動に呟いた時、背後で遠吠えが響いた。森をも震え上がらせる悍ましい声。セイルは振り返ると同時に駆け出していた。

 村は荒らされ、煙と血の臭いが充満していた。
 村のあちこちに散らばっている黒い獣。犬より一回り大きな体躯、数日前嫌というほど見た赤い目と口。
 セイルは女子供の悲鳴と男供の怒号が飛び交う中を駆け抜け、今にも獲物に牙を突き立てようとしていた“地獄の猟犬”へと突進した。“地獄の猟犬”がセイルの存在に気付いた時にはすでに遅い。“地獄の猟犬”は斜め下からの斬撃に呆気なく切り伏せられた。
「セイル……さん?」
 血飛沫を上げて倒れていく“地獄の猟犬”の向こう側にいたのは、銀髪の青年だった。右肩を押さえている指の間からは鮮血が滴っていた。
「ありがとうございます。助かりました」
「貴様、自衛団一強いのではなかったのか?」
 セイルはへたりこんでいるラグナに手を差し延べてやった。
「その筈なんですけどね」
 ラグナはその手を取ると苦笑しながら立ち上がった。その時、ラグナの後ろで子供が震えていることに気付いた。ラグナの足にぴったりとくっついて離れない。成る程、その肩の怪我はガキを庇った結果なのだろう。他所でもそういった光景が認められる。
 こいつらは強者が倒れたら、敵を倒せる者がいなくなることに気付いているのだろうか。その自己犠牲が最悪の結果を導く可能性に繋がることを知っているのだろうか。“例え誰が傷つこうと、倒れようと、戦士なら目の前の敵を倒すことだけに全力を尽くせ。余計な思念は剣を鈍らせる”――セイルはそう教わった。自分に出来る最善を尽くすことが最高の結果に繋がるのだと。セイルは“地獄の猟犬”の群れに向き直る。
「この近くに川はあるか?」
「え、ええ」
 ラグナは突然の問い掛けに戸惑いながらも頷いた。
「よし。あいつ等は川を渡れない。対岸まで逃げれば安全だ」
 例え橋が架かっていようと“地獄の猟犬”は川を渡れない。かつて地獄の入口に構えていた彼等にとって、川は隠世<かくりよ>と現世<うつしよ>を隔てる境に等しいのだろう。隠世の者だった彼等は、川向こうの現世の者には手出しが出来ないといったところか。
 村人の安全を確保した事に満足そうなセイルを余所に、ラグナの表情は曇っていた。
「無事に逃げられる訳ありません。お年寄りや子供もいるんですよ? 怪我人だって――彼等を置いて行けとでも言うんですか?」
 ラグナの抗議にセイルは百も承知といった風に答える。
「だから私が時間を稼ぐ。皆を連れて川を渡れ。いいな」
 そう言って駆け出そうとしたセイルの腕を、ラグナが掴んだ。
「一人で戦うなんて無茶です!」
 自分も戦うと言い出すラグナを、セイルは乱暴に振り払った。
「利き腕の使えぬ剣士は邪魔だ。ガキ連れとなれば尚更な」
 セイルは突き放すような有無を言わさぬ口調でラグナを制した。ラグナは、しばし俯いていたが、ゆっくりと頷いた。
「わかりました。でも、無理はしないで下さいね」
 セイルは「あぁ」と上辺だけの返事を返した。ラグナは多少安心したようにセイルから離れて行く。
(さて、どれだけ持つか……)
 セイルは汗の滲む手で、服の上からネックレスの宝玉を握りしめた。