Act:003
部屋の小さな天窓からは、ちょうど真夜中に月が見える。あと数日もすれば満月だ。
セイルは眠れない夜を過ごしていた。この前は蹴散らしたとはいえ、いつ他の魔獣が襲ってくるかも知れない。もしセイルのせいで人間族の村が襲われるようなことがあれば死活問題だ。セイルは寝返りを打つと布団を頭から被る。東の空はもう白み出していた。
その後のセイルの回復力は医者も目を見張るものがあった。あの薬師の娘は「奇跡ですね!」などと言って手を叩いていたが、当然奇跡ではない。あの晩以来不安を覚えたセイルは、治癒の精霊術を少しずつかけていたのだ。
ただ、魔法の中でも“精霊術”は気軽に使えるものではない。自然の力を借りるこの魔法は、自然の豊かな所でないと使えない。つまり、治癒魔法として水魔法を使おうとすれば近くに清らかな水がないと使えないのだ。そして、もし自然が近くになかったら、代償として自分の命が削り取られてしまう。
傷を治すために命を削る――いくら長命の精霊族といえど、出来れば避けたい行為だ。だが、セイルはそうしてまで魔法を使うほどに焦っていた。
その日の午後、セイルは久し振りに外に出た。流石に部屋に篭りっぱなしでは体力も腕も落ちてしまう。
セイルはラグナから剣と荷物の入った布袋を半ば無理矢理に返して貰った。この二つは常に持っていないとどうも落ち着かない。それに、この布袋には命よりも大事な品が入っている。
傷は随分と回復したが血は戻っていないようで、元から白いセイルの肌はより白さを増していた。時折、剣と荷物の重みでよろけそうになる度に村人に声を掛けられる。どうやら、この村の人間達はセイルを恐れていないようだ。親しげに声を掛けてくる者もいれば、「耳を触らせてくれ」などと言う物好きすらいた。警戒されない分には構わないのだが、ここまで他人に馴れ馴れしくされるとどう対処すれば良いのかわからない。
「セイルさん? どうかしましたか?」
途方に暮れていたセイルに声を掛けたのはあの薬師の娘だった。
嵐の去った空には雲がゆったりと漂っている。風はなだらかな丘を駆け降りて、セイルの髪を優しく撫でている。
「空だけは向こう<精霊界>もこちら<人間界>も変わらぬな……」
セイルは空を仰ぎながら呟いた。故郷への想いは声と共に風に掠われて消えていく。
セイルが向かったのは村の北に位置する小高い丘だった。薬師の娘に人気のない広い場所を知っているかと尋ねたらここを教えてくれた。“弔いの丘”と呼ばれていて頂上には村人の墓場があるそうだ。
セイルは周囲に人がいないことを確かめると、布袋を近くの木の下に置いた。その際、袋の中から青い石のついたネックレスを取り出して首に付ける。本来セイルは戦闘や修練の邪魔になると言って装飾品を嫌うのだが、これだけは特別だった。ただ集中の妨げになってはいけないので、いつも服の中に潜り込ませている。
四日ぶりの剣は重かった。普段は軽々と敵を薙ぎ倒す相棒だが、一度離れてしまうと間を埋めるのに苦労する。どうにか鞘を嵌めたまま素振りをし、抜き身で型を一通り終えたが、気分は最悪だった。セイルは気を抜くと空へ飛び出しそうな意識を押さえながら、風に当たろうと頂上へ向かった。